1981-04-09 第94回国会 衆議院 内閣委員会 第5号
たとえば在外公館に勤める大使やその他の参事官等についても言えることですが、外交を瀬戸際で何とかするというふうになるためには、どうしても相手国の高官あたりと相当個人的な親密さといいますか、おい、君という呼び方で呼べるような関係をつくり上げないとむずかしいというのが出先の外交官の実感であります。
たとえば在外公館に勤める大使やその他の参事官等についても言えることですが、外交を瀬戸際で何とかするというふうになるためには、どうしても相手国の高官あたりと相当個人的な親密さといいますか、おい、君という呼び方で呼べるような関係をつくり上げないとむずかしいというのが出先の外交官の実感であります。
ナイロビの総会を評しまして、愛知大臣は、一応そこで何らかの成案が得られるような一つの目標と見ていいのじゃないかと言っておられるようでありますし、フランスの大蔵大臣ジスカールデスタンは、これは一つの段階といいますか、ステージにすぎないというふうなコメントもしているようでございますし、アメリカの財務省のボルカーですか、高官あたりは、いろいろの重要問題がナイロビ以降も残るのではないか、こういうふうなことも
○森元治郎君 これは在外高官あたりが大使で帰ってくる、このプールしておくところには大臣官房審議官なんという場がありますね。あんなことでつないでおけば、特にこういうことに手をつけないでもまだ使えるんじゃないですか。
したがって、こういう情勢の中において、アメリカのだれが、ニクソンがこういうことを声明するのかどうかわかりませんけれども、アメリカ政府の一高官あたりが、もうすでに沖繩には核は存在しないのだと、こういうようなことを言明しても、もはや沖繩県民、日本国民はこれを信用するような状態ではないと私は考えておるわけであります。